あれから、そしてこれから | | 日々の雑記

春彼岸で明日は来客

2017年3月17日

お彼岸の準備

といっても、何をするわけでもないが、いつもより気合を入れて大掃除をするのが定番の彼岸、お盆前のスタイル。来客があるからだ。

しかし、その来客も3回忌以後は、潮が引くように減っていった。そんなものなんだろうと思う。今の時代は……。

大勢で一度に来客があった数年間。ばたばたとお茶を出したり色々、いつもと違うペースの時間だったが、こんなに来客がなくなると、そのばたばたが懐かしいもの。

いつまでも死んだ他人に想いを馳せるなんてあるはずがないのだから。思いを馳せ続けるのは親くらいのものだろう。当然である。

それでも、思い出して、ただお線香を……とたずねてきてくれる友人がひとりもいないのはさびしいものだ。忘れられていくようで、だんだん記憶の中で薄れていくようで……。

 

友人たちが作ってくれた、寄せ書きとさまざまなシーンの写真の数々を合わせ作ったものを、額に入れてお仏壇の横に飾ってあるけど、もうそういうものもはずしてしまおうかと思う。

彼女たちは生きている。彼女たちが作ってくれた額ではあるが、いつまでも踏みとどまって、うちの子のお仏壇の横に飾られてはいたくないかもしれない。もう忘れているかもしれない。

ひとつひとつの命は、尊いから大事にしなきゃいけないが、しかし所詮、「ひとつの命」に過ぎないのだと、時とともに忘れられていく「命」であるという……。

時が経てば、だれでも、想いは、すでに薄らぎ消えていくのだろう。

時が経てば、何でもさめるものだから。

怒りも悲しみも熱いコーヒーも。

 

だからといって、ひとりひとり、悲しくないわけでもなく、さびしくないわけでもない。ただ、いちいちの悲しみも失望も薄らいで消え行くだけ。

ただ、当たり前のように

死生がめぐりめぐっている

ただそれだけ。

「ひとひとりの命」とは

そういうものなのだろう。

 

 

明日は、来客。

お仏壇周りを念入りにお掃除して、新しい花を買ってきた。

たったひとりだけ、毎年一度だけ、

お線香をあげに電車に揺られてやってくる人がいる。

娘の父親である。

あの子を忘れない人間は、

あの子を想う人間は、

もう親しかいない。

 

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