あれから、そしてこれから | | 家族

今年は七回忌

2017年7月19日

今年は、亡くなった娘の七回忌になります。

 

まる6年などあっというまで、私にとっては、あの生き地獄の光景(ガス釜に娘の棺がガラガラと入れられてガチャっと閉じられ・・・スイッチを押したときの音、静かなゴーッという音)、あの瞬間から、せいぜいひと月程度の時しか流れた感じがしませんん。

 

「人生とはなんと儚く瞬きする一瞬のようなものであるか」

「人の命とは、なんともろくシャボン玉のようなものであるか」

 

その残酷さ、生きることとはなんと残酷なことなのか

生まれてくると言う事は、もしかしたら何かの罰ゲームなのか。

それとも地獄に落ちた=この世なのか

 

そんな風にしか思えなくなりました。

 

これは、悲観しているとか、世をすねているとか、わが子をなくし悲しみにくれているからだとか、いつまでも前を向いて歩こうとしていない弱さだとか、慰めてほしいのだろうとか、

 

そういうことではありません。

 

あるいは、そういうこと全部を並べてみても、言葉では表しきれない、もっとそんな陳腐なことは通り越す、その先の気持ちです。

 

そもそも、この世は地獄だと思っているんですよ。

 

考え方次第、捉え方次第で、花を見つけ、安息を見つけ

みんな前を向いて歩いているだけです。

 

でも、この世は基本、地獄なんです。

しっかり生きないと、生きていくのはとても困難です。

優しく生きないと、苦しみばかりが襲い掛かってきます。

 

あきらめないと、足踏みをします。

希望がないと、生きる糧は得られません。

 

 

「糧」とは、お金でもご飯でもなく、

お金を稼ぐ意味、ご飯を食べる理由。

希望がないと、お金を稼ぐ気にも、

ご飯を食べる気にもならなくなるものです。

 

7回忌・・・13回忌・・・その次あたりは、

私も、娘に会えるでしょうか(笑)

 

私の「糧」

生きる希望は、

「しっかり死ぬこと」。

つまりは、言い方を変えれば、

娘の死を無駄にしないように「生ききる」ことです。

 

今を、今日を、しっかりと生ききることを娘は見ているでしょう。

そして、生まれ変わったら「私もしっかり今度は生ききろう」と

そんな気持ちで、見ていてくれていればいいかなと(笑)

この空を写した日から、まる6年目を迎えようとしています。

 

 

余談

生まれ変わったら、前世覚えてないですよね。

娘が生まれ変わらないうちに、

娘が「わたしの娘であるうちに」

私もさっさと会いに行かないと(笑

 

と、思ってますけどw

 

 

すべては「在る」とおもえば「在る」

「無い」と思えば「無い」。

 

 

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