あれから、そしてこれから | 日々の雑記

『お寺に行ったからとて何になる』

2017年9月14日

・・・と、つぶやいたのは昨日。

 

そのあと、半日もしないうちにお寺へ。

 

 

 

「やっと行ってきた」

 

 

最近の私は、すべてが「やっと」。

息をするのも「やっと」な気持ちかもしれない(笑)

生きているようで生きていないのだ。

そもそも、生きているが解らなくなってきた。

というより、

生きることに執着がなくなった。

 

今は、私を頼りとする犬猫子供のために

生きている。

それ以上でもそれ以下でもない。

 

時に、何かに頑張るのは、その子らの為。

それ以下でもそれ以上でもない。

 

そして、それでいい。

それが、とても心地よい。

 

『これまでのようには』

 

これまでのように生きていない。

これまでのようには生きられない。

これまでのようには生きたくない。

 

これまで目を向けたところには

まったく目をむけなくなった。

 

これまで、関わった人たちとは

まったく関わらなくなった。

 

これまで興味があったことは、

まったく興味がなくなった。

 

これまで、「大事」とこだわってきたことは

すべて「大事」ではないと、こだわらなくなった。

 

人生の「大事」など、死生のみであり、

あとは、楽しみと苦しみ。

 

その程度なのではないだろうか。

お寺の奥様手作りの栗の甘露煮を頂いた。

 

得度

 

来年は・・・と

あれこれ・・・。

 

総持寺に行って供養してもらう・・・というお話。

 

うちの犬や猫の話。

そして毎日、ご飯を食べにきたふりをして

やってくる捨て猫。

 

たらふく食べたくせに何度でもやってくるのは、

あごをなでてもらうため。

捨てられてしまった

にゃン太郎(そう名づけた)のこと。

などなど・・・。

 

 

そして、

「今、ここ。この一瞬、このひと針、ひと針」のお話。

 

 

 

奥様のご実家のお米を頂いた。

なんとありがたいことか。

さっそく炊いて、仏壇の供えた。

 

 

 

 

 

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